言葉で説明するより、
絵などで示したほうが
わかりやすいと思います。
つまりさ、
こういうことだよね。
ラクビーの話もそうですよね。
体操の話もそうですよね。
相撲の話もそうですよね。
もちろん
スポーツだけの話じゃないです。
学校の先輩後輩だとか
バイト内だとか
工場内のことだとか
昔々の世代から、、
ずーーーーーーっと、
続いてきたんでしょ。
最近
時代の変化と称して、
変わりつつあるのかもしれないけど、
鬱憤連鎖を
当たり前だと思ったり、
気付きもしないような
世代や人がいることも事実なわけです。
鬱憤連鎖を正しいものとするなら、
僕に次の世代や下の者がいれば、
その人に八つ当たりして、鬱憤を晴らすのが正しいのでしょうか?
ただ
僕は
世間一般論では想定外に
情弱のビビリだし、
どんくさいので
行動したとしても、
八つ当たりして鬱憤晴らしたり、といったことには
どうにも届かないというか、
響かないようです。
結果、
計らずも、
鬱憤連鎖を止める役目となりました。
鬱憤連鎖を止めるのは、
よっっぽどのことです。
鬱憤連鎖を疑いもせず、当たり前と思う世代人が、遠慮もなく垂れ流して
僕がいくら
『この連鎖を止めようよ』と言っても、
先程書いた通り、
どうにも届かず響かず、、
いよいよになってくると
ふざけるなよ腐った旧世代どもが、、
となってきます。
僕は次世代や下の者に鬱憤連鎖を続けてほしくない。
だから止める。
でも
旧世代から流れてくる。
止めきれないほどの鬱憤をぶつけられる。
ならば。
腐った旧世代どもを粉砕してしまえば、
鬱憤連鎖ごと、止まる。
でも受け止めるしかない。
旧世代人達を粉砕するのは犯罪だから。
かわりに
これ以上の世間への貢献はできない。
犯罪以外の方法で
鬱憤連鎖を止めたことが
僕が成した、
世間への貢献。