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ストレス社会ともいわれるが、
その社会を構成してきたのは人だ。
細分化して考えてみましょう。
1人の人間の抱えるストレス
膨大であり、抱え続けるのは、
不要の荷物を持ち続けるようなものであり、
重い。
出来れば、軽くしたい。
放置できるところがあれば、
置き去りたい。
捨てられるところがあれば、
捨ておきたい。
不要なものが無くなって、
軽くなれば、楽になる。
ただ、この荷物は物理的なものでなく、
人間の内部のストレス。
ストレスという荷物を処分しようにも、
不用品回収に出してしまう。といった確かな方法が無い。
ストレス処分方法は人により不確かであり、
他人に渡してしまう。
という方法も存在する。
でもちょっとまって。
ストレスを処分するために人に渡してしまう。
ということは。
人にストレスをぶつけているということ。
ストレスを渡しやすい人間がそこにいたかもしれない。ストレスをぶつけやすい人間がそこにいたかもしれない。
でもね。
ぶつけられた人はどうなるの ?
自分以外のストレスをも抱えた人はどうなるの?
1人の他人にぶつけられたら。
まして、それが複数重なったら。
ましてや、多くを抱えたその人が、
重くなった荷物を他人に、ぶつけられない優しい人であったら。
抱えられるものは無限ではない。
限界を超えて重くなると、
死の直前になって、はじめて気づく。
そこが家の中であれ、会社の中であれ、
その個々の世界の中で、
ストレスがさも流通品かのように動く様は、
ぶつけられている側の人間がよくわかっている。
もっと言えば、
底辺の人間がよくわかっている。
ということは。
傾向としては、
上層部の人間
(と一言で言っても、状況としてはさまざまだろうが)は、
自覚もなく
(自覚があってやっているとしたら、なお酷いが)、
部下などの人に自身のストレスを
ぶつけている。となる。
さて、身の上話となるが、
私は底辺側の人間だ。
少なくとも上層部ではない。
本記事の通り、
他人のストレスを渡され、
それも無数にぶつけられた側の人間だ。
これまで私にぶつけてきた者達。
キサマラヤリスギダ
あなたにあるハズのものを返してやろう。
もちろん。
利子付きで。